「おわりに」から
2060年。
日本の総人口は8000万人までになっているかもしれない。
戦後、人口が8割も増える中、多くの湿地や傾斜地が住宅地として開発されていた。
だが、人口が縮小していく中、こうした戦後の造成地の中の天災に弱い部分を、徐々に本来の湿地や傾斜地、山林に戻していくことが可能になる。
そうすることで、本書で唱えられる里山資本主義を担保する水と緑と田畑のある風景がよみがえっていく。
マネー資本主義が一時的に停止してもしばらくは持ちこたえることができる人の比率が高くなっている期待もできる。
こうした世の中になっていくのかどうかはわからないが。
人口が減っていくことはすでに分かっていることであり、であるならば、必然的に人の住まなくなっていく場所も増えていくことになる。
そうした場所を本来の姿に戻すという感覚は同意できるものである。
そして、それを見据えて各地方自治体は政策を練っていく必要がある。ようするに、人の住まなくなっていくエリアの予測と、その店じまいをだ。
きれいに元の風景に戻すことにより、メリットが二つ生まれる。一つは、もちろん水と緑と田畑の風景がよみがえることである。もう一つは、インフラの整備が要らなくなっていくことである。
今後、日本は着実に人口が減っていく。どうランディングさせていくか、国だけでなく地方自治体も真剣に向き合っていく必要のある時代がやってきたということだろう。
2013年7月10日初版発行
マネーに依存しないサブシステム
「木材バイオマス発電」
木を板材にする過程で生まれる樹皮や木片、木くずを利用した発電。
岡山県真庭市の銘建工業が取り入れている発電で、一般家庭の2000世帯分の発電をまかなえる。
発電のために木を使うのではなく、製造の過程で生まれる「ゴミ」の有効利用の方法の一つだ。
さらに
木くずをつかってペレット(木質ペレット)を作り、これを専用のボイラーやストーブの燃料とする
コストパフォーマンスがよく、灯油とほぼ同じコストで、ほぼ同じ熱量を得ることができるという
こうした木を徹底活用して経済の自立を目指す取り組みを国を挙げて行っているのがヨーロッパのオーストリアである。
人口1000万に満たない国で、面積はちょうど北海道と同じくらいの大きさ。森林面積は日本の約15%にすぎないが、日本全国で生産する量よりも多いくらいの丸太を生産している。
オーストリアでは林業が最先端の産業に生まれ変わっている。
前出のペレットはもちろんのこと、独自技術により、多くの雇用を生んでいる。
日本と同じく地下資源に乏しく、原油を中東に、ガスをロシアに依存している。そのため、国際情勢が不安定になるたびにエネルギー危機に見舞われてきた。
石油やガスをペレットに置き換えることで、安心・安全を守れる。
これだけ木を使うことになったとしても、徹底した森林管理によって持続可能な林業を実現している。
そのための制度の一つが「森林マイスター」である。
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こうして成功した事例として「ギュッシング」モデルがある。
林業の新技術
木を徹底的に利用するオーストリアで、従来の常識を覆す新しい技術が生まれている。
CLT(クロスラミネイティッド・ティンバー)、つまり「直角に張り合わせた板」
これだけのことで、建築材料としての強度が飛躍的に高まる
この技術が誕生したのが2000年。
このCLTで木造高層ビルが建ち始めている。
地震にも強く、耐火性能も高い。
[雑感]マイクロ・エコシステムという考え方
里山資本主義では、地域を単位としたエコシステムが描かれていた。
中国地方での取り組みを題材にして、日本各地で同じような規模の地方都市に適用できるかもしれないシステムの紹介がされている。
地域を単位としたエコシステムよりも、より小さな単位のエコシステムの構築というのもあり得るかもしれない。
それは家族を単位としたものである。これ以上小さな単位となると、個人ということになるが、個人までになるとシステムとは呼べなくなるので、家族というのが最小単位ではないかと思う。
最小単位なので、マイクロ・エコシステムとでも呼ぶべきだろう。
現在のテクノロジーを駆使すれば、マイクロ・エコシステムの実現可能性はゼロではないと感じる技術がある。
近畿大学で開発された、バイオコークスである。

コークスは一般的には石炭から抽出される燃料だそうだが、このバイオコークスは生物由来のものであれば、作ることが可能らしい。
つまりは、生ごみや落ち葉などから作れるというのだ。
里山資本主義で書かれているペレットも、エコシステムの中で極めて有効な技術であるが、このペレットを作る材料はそのままコークスを作る材料となる。
テレビでも紹介されていた作り方を見ていると、巨大な装置が必要ということでもないようである。
というより、こじんまりした装置で作れるように見えてしまっただけのことであるが、もし、こじんまりした装置でもできるのであれば、家庭向けという発想もあるのかも知れないと思った。
実際、数十年先には家庭向けのものができているような気がする。
もし、コークスが家で作れるという時代が来れば、とんでもないイノベーションが起きることになる。
コークスをもとに、文字通り「自家発電」が可能になるかもしれないからだ。
ある年齢層以上にはなじみのある映画に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画がある。
映画にデロリアンという車型のタイムマシンが登場する。
この車の燃料に生ごみを使うシーンがあるが、まさに、バイオコークスの進化形である。
車にバイオコークスを作る装置を取り付け、作られたコークスで電気を作り、車が走る。
そんな時代が来ることになるのかもしれない。
同じ発想で行けば、生ごみや落ち葉でコークスを作り、自家発電を行う時代が来るのかもしれない。
実用化された技術としての太陽光発電に蓄電。
これらに新たな発電技術が加われば、家族を単位としたエコシステムというのが見えてくる気がする。
家族を単位とするマイクロ・エコシステムができればいいと思うようになったのは東日本大震災以降である。
東日本大震災の時に、エネルギーの確保に苦労した思いがあり、完結型のシステムができないと地方部では生きていけないということを身をもって経験した。
車社会で暮らして、まず困ったのがガソリンの確保であった。
高速道路が不通状態であったり、製油所も壊滅的な状況で、ガソリン・スタンドにガソリンが入ってこず、供給にめどが立たない状況が続いた。
一方で、車がないと著しく生活に支障をきたす状況であり、車のガソリンが減り続けていくという状況だった。
職場への通勤は単独では行わず、乗合によってしのいだ。
幸いなことに、あるタイミングでガソリンの供給が始まったからよかったものの、あのままガソリンが供給されない状況が続けば、足がなくなり、どうにもならなかったに違いない。
そして、ガソリン不足に追い打ちをかけたのが、計画停電だった。
寒い季節のことだったので、食品のことをそれほど心配しないでよかったが、夏場であったら、食品のことも考えなければならない状況だっただろう。
なにせ、停電で冷蔵庫がつかえなくなるのだから、食品は傷んでしまっていただろう。
こうした経験をしたのは、一部の地域の人間だけだったのかもしれない。
だが、この経験は様々なことを教えてくれた。
その最たるものは、現代社会はエネルギーが確保できなければ、全く維持できないシステムになっているということを身を持って教えてくれたことだ。
いかにしてエネルギーを確保していくか。
大企業が全く当てにできないという現実を突き付けられた以上、より小さい単位でのエネルギー確保が必要になるのではないかという思うようになった。
里山資本主義の中で書かれている数千世帯という小さなレベルでのエネルギーの確保でもいいだろうし、より小さな単位のものでもいい。
いずれにしても既存のマスのシステムではなく、ミニマムのシステムというものがあった方が、良いように思えるし、そのシステムがエコなものであれば、なおさらよいのではないだろうかと思うようになった。
2020年までに進む人口減
国立社会保障・人口問題研究所が平成24年1月推計でまとめた資料によると。
2010年から2020年までに死亡中位仮定の出生中位で約390万人が減るという予測になっている。
これは大雑把にいって横浜市が消滅するのと同じだが、いまひとつ面積的なインパクトがないので、面積でいうと四国が消滅するにほぼ同じである。
この統計をもとに民間研究機関「日本創成会議」(座長・増田寛也元総務相)が、2040年までに全国の計896自治体で、20~39歳の女性が半減するとした独自の試算を発表した。
若年女性が半減した自治体は、介護保険や医療保険などの社会保障の維持が困難で、雇用も確保しづらい「消滅可能性都市」になると指摘だった。
かなり衝撃的な発表である。
また、国交省でも同様の人口の予測をまとめており、1平方キロメートルごとに分けた全国の18万地点で見ると約6割で50年には人口が半分以下になり、2割にあたる約3万6千地点では、50年には住む人がいなくなるという予測を立てた。
国交省では、行政や商業施設を一部地域に集約して効率を高める「コンパクトシティー」が必要になると指摘している。
人口減がもたらすのは、大都市部における緩やかな人口減少と、地方部における急速な人口減である。
地方都市に人が残り続けるというのは、まずもって幻想と思った方がよい。
そして、人が減っていく地方部では、インフラの維持というのが重くのしかかる課題となる。
今後、地方に住み続けるということは、大きなリスクを抱えるということになる。
もっとも重要なインフラである電気、水。
いかに少ない世帯だけでこうしたインフラを維持できるようにするかというのが、今後の地方部の生き残る道である。
目次
はじめに 「里山資本主義」のススメ
第1章 世界経済の最先端、中国山地―原価ゼロ円からの経済再生、地域復活
第2章 二一世紀先進国はオーストリア―ユーロ危機と無縁だった国の秘密
中国総括 「里山資本主義」の極意―マネーに依存しないサブシステム
第3章 グローバル経済からの奴隷解放―費用と人手をかけた田舎の商売の成功
第4章 ”無縁社会”の克服―福祉先進国も学ぶ”過疎の町”の知恵
第5章 「マッチョな20世紀」から「しなやかな21世紀」へ―課題先進国を救う里山モデル
最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に訣別を―日本の本当の危機・少子化への解決策
おわりに 里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、2060年の日本