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「遅読家のための読書術-情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣」内容の要約と紹介:印南敦史

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本を読むのが遅い人のために

著者の印南敦史氏は読むのが遅いという。1ページを読むのに5分くらいかかってしまう。ただし、これは熟読の場合。

本書で説くのは、速読ではない。早く読むための方法論が書かれているわけではないので、それを期待するのなら、読むのをやめたほうがよい。筆者もそう書いている。

では、本書で説いているのは何か?

それは、読み方の意識改革。

遅読化というのは、読書に対する「真面目さ」を捨てきれない人のことです。

「熟読の呪縛」の発端は、おそらく学校教育にあります。

(中略)

なにかのきっかけでその呪縛が外れた人(または最初から外れている人)は、もっと不真面目に、自分に都合のいいように本を読んでいます。

(中略)

読書について、重たく考えすぎじゃないでしょうか?(p42~p43)

思うのだが、多くの人は、会社の書類や、仕事上のメールなどは、ポイントだけしか読んでいないのではないだろうか。本書で言いたいのは、そうした読み方でいいということである。

本に向き合う時だけ、姿勢を正して、何かを学び取ろうと、しゃちこばる必要はない。

こうした意識改革を経て、今では4つのサイト(「ライフハッカー」「News Week 日本版」「Suzie」「WANI BOOKOUT」)に月60本の書評を掲載しているという。単純計算で年700冊のペースだ。

ちなみに、印南氏の仕事は、書評家、フリーランスライター、編集者。本の世界に近いところにいる。

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熟読したところで忘れるものは忘れる

印南氏は、レビュー記事を始めて気が付いたことがあったそうだ。

レビュー記事を書き始めて気づいたことがあります。それは、「いくら熟読しても、実際には忘れていることのほうが多い」という現実。(p30)

これに気が付いて、読み方への発想の転換が必要だというところにたどり着いた。

たどり着いたさきが、不真面目に読むということ。ようするに、読み始める最初から、忘れてもいいという気持ちで読んでよいのだ。

たった1回の読書に多くを期待しすぎるあまり、読むのが遅くなってしまっているのではないか。

それならば、多くを期待するのではなく、ほんのわずか、たとえば1行でもいいから、その本の中に何かを見つければいい。

そうして積み重ねた小さなブロックが集まって、やがては大きなブロックになっていく。

本から何かを得るということは、そうした作業なのではないだろうか、というのが思いの一つ。

読み方

筆者は書評を書く際には、速く読める本を中心に据えているという。
1冊を読むのに、約20分から30分程度。その後、1時間程度で書きまとめるのだ。

こうした部分だけを取り上げると「なんて雑な本の読み方をしているんだ」と思う人もいるかもしれない。

だが、速く読める本であれば、それは可能だと思う。

個人的な体験になるのだが、大学の恩師の研究室は、本があふれかえっていた。
かなり天井の高い個室で、壁の片側が、床から天井までが書架になっている研究室で、その書架すべてが論文と本とで埋め尽くされていた。

一度、恩師に聞いたことがあった。
これを、すべて読んだのですか?(当然読んでいないと思って聞いた)

答えは、そうでもあり、そうでもなかった。

全ページを読んだかということであれば、それは読んでいない。だが、目を通していないかということであれば、目を通している。
本や論文の「必要な部分」だけは読んでいる、ということだった。

ようするに、学者でも「不真面目に読んでいる」のである。

どこに着目して読むか

恩師もそうだったが、どうやら、ほかの先生方も似たり寄ったりの読み方をしているようだった。
そして、知ったのが「読むのには、なにやらコツがあるらしい」ということだ。

そのコツは、本書で書かれていることとほぼ同じ。

まず、目次をしっかり読む。

目次を読めば、その本で主張したいことのある程度が推測がつき、自分が中心的に読むべき個所がわかるからだ。

だから、目次には読む時間を割く。

「いい本」の定義は人それぞれだとは思いますが、「機能性に優れた本」というのは確かに存在しており、その1つの条件は「目次が優れていること」です。(p120)

(まれに、目次で全てが分かってしまう本に出会うことがある。ためしに本文を読むものの、目次に書かれている以上ものものが書かれていなかったりする。中身がない本といえば、そうなのだが、目次ですべてがわかるのだから、それはそれである意味優れた本ともいえる。)

恩師の話に戻るが、論文を書く際には、目次で書かれている内容がすべてわかるようにしろ、と言われたことを思い出す。それだけ目次が重要ということだ。

次いで、各章の最初の5行と、最後の5行だけを読む。5行というよりは、段落や固まり、といったほうが正確だろう。

これはビジネス書に顕著だが、最初に主張を展開し、間に事例をはさみこむことで説得力を増し、最後に再度主張を書く。

逆に、論理の展開上、最初と最後が異なるわけにいかないので、間を読み飛ばしても、大体大丈夫。これは、本書でも同じようなことが書かれている。

極端なことを言えば、自分の得意とする分野の本であれば、最後の固まりだけを読めば、内容がわかってしまう。こうしたところだけをピックアップすれば、余分な個所を読む必要がないので、読み終えるのが速くなる。

とはいえ、翻訳書にはこうしたテクニックが全く通用しないものもある。こうした翻訳書は、中身が濃く、重厚で、読む者に大きな時間を割かせ、多大な苦痛を与える。だが、得るモノがきわめて大きかったりするので、良書なのだが…。

読書は呼吸である

息を「吸う」ことと、本を「読む」ことはとても似ている。(p71)

息を吸い続けると、苦しくなるのと同じく、本も読み続けるだけでは苦しくなる。

だから、息と同じく「吐き出す」というアウトプット作業を行えばいい。これは多くの人にとって面白い主張なのではないか。

私自身は、吐き出しながら読んでいるので、何の違和感もないのだが…。特にビジネス書は、読む際に書かれていることを、最初から覚える気がないので、アウトプットありきの読み方をしている。

「あたり」をつける

10分くらい店内をブラブラし、なんとなく棚を眺めているだけで、「ほしい」と思っていたレコードにかなりの確率で出会うことができます。(p131)

こうした経験を持つ人は多いのではないか。

これは、最初から「ほしい」という目的を持っているから、見つけられるわけなのだが、本にも、そうした「目的」をもって読まないと、いたずらに時間だけが過ぎて行ってしまうことになる。

そうならないために、キーワードに注目して読み進める方法も進めている。
「あたり」をつけて読むことによって、読み進める速度が速くなるということだ。

そもそも、本をとった時点で、その本にある種の期待をしているはずである。そのある種の期待を「キーワード」に置き換えればいい。

そして、読む際には、そのキーワード及び、周辺キーワードに着目して、読んでいく。キーワードが登場したら、その周辺を重点的に読むというものだ。

この手法を、たまに本屋でやるが、本の概要をつかむだけなら、短時間で終わる。目次をしっかり読むことも合わせてやるのだが、5分程度で終わる。

悩みは同じ

実は、本書で説かれている読み方は、私自身そうした読み方をしているので、読みながら、「へぇ、同じような読み方している人っているんだ」と変に感心したものだった。

他にも、読書に対する姿勢が同じで、妙に親近感を覚えながら読んだ一冊だった。本にラインを引かないというところも同じ。理由もほぼ一緒。

以前に、PCに書き溜めるのをやめて、ノートに書き写すということをやったことがあったが、すぐにPCへ書き溜める作業に戻った。これは、著者と理由が異なり、悪筆が原因だったからなのだが…。書き溜めるというところも同じ。書き溜めが終わったら、基本的にはその本とのお別れになる。

こうした風に本を読んでいくと、必然的に頭を悩ますのが、書籍代。この部分についても、筆者と、行動パターンが似ていて、笑ってしまった。新古書と図書館の利用だ。そして、最新のものは本屋で購入。まったく一緒。

今では、新刊でも早いタイミングで新古書になっていたり、図書館で購入してくれたりする。新品でなければイヤだ、という人以外は、こうしたところを最大限利用するのが得策だ。

最後に

読書は楽しむためのものである。筆者の次の言葉は肝に銘じて終わりにしたい。

いまのように1日で2冊も3冊も読んでいると、知らず知らずのうちに、読むことそれ自体が「作業」になってしまいがちです。

(中略)

たしかに、10年後には7000冊の本が目の前に積み上げられるのかもしれない。
しかしそれよりも、10年後にも「13歳の気持ち」で本を読んでいられることのほうがずっと重要ではないでしょうか。
その気持ちがあれば、年齢や経験に関係なく、一生、感動できる本に出会えるはずであるから。(p203~p204)

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