教育思想・哲学の基本書の一つになっているのではないかと思います。
大きめの文字の文庫で約150ページ程度の短い本ですが、読みにくいです。
読みにくい理由は、内容が思想・哲学的だからということもありますが、文章にあります。
翻訳が悪いわけではありません。現在のような文章とは大きくかけ離れているので、文章スタイルが読みにくいのだと思います。
思想・哲学的な内容のため、とっつきにくいうえ、文章も読みづらいので、なかなか前に進みません…。
また、書かれた時代を勘案する必要があります。本書は1938年に上梓されています。
現在のようなエビデンスベースドの教育学とはあらゆる点で前提が異なりますので、伝統的教育や進歩主義教育に焦点を当てている部分は無視して読み進める必要があります。
ですので、本書から読み取るべきは、伝統的教育や進歩主義教育に関する内容ではなく、ジョン・デューイが考える教育の哲学です。
ジョン・デューイはプラグマティズムを代表する思想家の一人です。
プラグマティズムが、約100年前の時代を映している思想・哲学ですので、今でも考え方に妥当性があるのかは疑問が残ります。
目次
第一章 伝統的教育対進歩主義教育
教育で使用される教材は、過去の知識や技能を集めたものと言えます。
学校の主な役割は、過去の知識や技能を新しい世代に伝達することにあります。
教育の主な目標や目的は、教科書などの教材を、熟練様式を使って子どもたちに習得させ、子どもたちの未来や生活上の成功を準備してあげることです。
生徒たる子どもたちは、受け身で従順でなければなりません。そして、教師は生徒が過去の知識や技能を効率よく学ぶための仲介者でしかありません。
第二章 経験についての理編の必要
教育と個人的経験の間には関連があり、教育哲学は経験的・実験的な哲学に関連していると考えられます。
真実の教育はすべて、経験をとおして生じるという信念があるが、そのことはすべての経験が本当に教育的なもので、またすべての経験は同等なものであるということを意味するものではない。経験と教育は、相互に直接的な関係にあるのでも、また同等なものでもありえない。というのは、教育的ではない経験だっていくらでもあるからである。
経験と教育 p30
重要なのは経験の「質」です。経験の質には二つの側面があります。
- 快適なものか不快なものであるかといった直接的な側面
- 経験がその後の経験にどのように影響を及ぼすかという側面。
経験が生徒の活動を鼓舞するものだとしても、経験が未来に望ましい経験をもたらすことができるようにするためには、直接的な快適さを越えた種類の経験が求められます。
こうした質的経験を整えるのが、教育者に課せられた仕事です。
第三章 経験の基準
教育が経験を通して知的に導かれるためには、経験の理論を形成する必要があります。
教育者が生徒に、経験を積ませるために力を貸さないようであれば、教育者が生徒よりすぐれて成熟しているということが言えなくなります。
経験は連続してさまざまな方法ではたらいています。経験というものは動きゆく動力です。
そして、経験が動いている力として考慮しないようでは、経験の原理自体に誠実に対応していないことになります。
そのような教育者は、人間の経験は、触れ合いとコミュニケーションが含まれるという事実から、社会的であるということに対応できないのです。
こうして形成される最も重要な態度は、学習を継続していこうという態度です。
第四章 社会的統制
統制の根源は、すべての個人が貢献する機会をもち、それに対して個々人が責任を感じるような社会的事業としておこなわれる作業の性質そのもののなかに存在しているということである。
経験と教育 p87
第五章 自由の本性
永遠に重要である唯一の自由は知性の自由であり、すなわち、本来的に価値が備わっている目的のために観察や判断がなされる自由である。
経験と教育 p97
第六章 目的の意味
目的には、衝動にはたらきかけることから生じる結果を見通すことが合意されています。
そして、結果の見通しには、知性の作用が含まれています。
第七章 教材の進歩主義的組織化
第八章 経験\教育の手段と目的
学習者個人と社会との両方の目的を達成するための教育は、個人の実際の生活経験に基づくものです。